一つのテーマを決め、そのテーマに沿って、職員一人一人が、『社会福祉法人希望館』をリレー形式で毎日紹介していきます。
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No.178
立川 玉枝
20歳の頃の私は、夜の銀座で、友人たちとお酒を飲んだり、食事をしたり楽しい毎日でした。12時の門限を忘れ、祐天寺の駅から家まで走っていました。もっと何かする事がなかったのでしょうか。
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No.177
水野 順一
若かりしあの頃とはいつの時代であったか、悩んだ結果、私が児童養護施設に入職するまでを語ろうと思います。
東京に住み大学に通う4年生の頃。専攻は福祉ではありませんが、学生時代に福祉関係の施設、グループなどでボランティア活動にのめり込んだことが大きく影響し、福祉の世界で働きたいという思いが強くありました。このくだりは長くなってしまいますので、省略します。とにかく私は福祉関係の仕事に就きたくて、最初に情報を得ようと群馬県庁に行きました。その時、相手にもされませんでしたが、哀れな学生を見かねた一人の職員の方が「ここに来るより、社会福祉協議会のほうが情報を得られますよ」と耳打ちしてくれました。私は県庁を出ると直ぐに群馬県社会福祉協議会に出向きました。私はそこで一冊の手帳「群馬福祉手帳」を譲ってもらい、児童養護施設希望館にたどり着くことができました。今から四十年前の話です。
思いがあった、そして思いを叶えようとして行動することができた。楽天的にも悲観的にもならず、なにも恐れず行動できた「あの頃」私は若かった。 -
No.176
関口
前から宇宙人はいないと思っていました。学生のとき、宇宙の授業がありました。1つの銀河には1000億個の星があり、その中には地球のような環境の星もあるだろうということ、そして、宇宙にはそういう銀河が2000億個あるという話を聞きました。とんでもない星の数。1000億個×2000億個・・・。まだ見たことはありませんが、「宇宙人はいそうだな」と思うようになったきっかけでした。というか遠いけど、宇宙のそこら中にきっといる!
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No.175
深澤 彩子
高校卒業して、事務の仕事についたのですが、どうも馴染めず一度は諦めた介護福祉士の資格を取りたいと思うようになり、専門学校の学費を貯金するため、昼は会社で働き夜はカラオケボックスでアルバイトをする日々を半年以上続けていました。おかげである程度のお金は貯まりました。今考えるとよくそんなことできたなと思います。まさに若かったからできたことだと思います。
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No.174
N.T
下の子が小学校低学年の時、ママ友とヘルパー2級の資格を取るため一緒に勉強しました。平日は仕事もあり、講習受講の3か月間は、時間的・経済的に、そして何より勉強が大変でした。家族の協力もあり、レポート実習を終えて資格が取れたときは本当にうれしかったです。“若かった”からできたと思います。そのお蔭でヘルパーの仕事が出来、介護福祉士へと繋がりました。誘ってくれた友人に感謝です。
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No.173
箕輪 和治
大学3年生の9月、1か月掛けて四国88か所のお遍路をしました。総距離約1400kmの道のりを歩きだけで進みました。ほぼ野宿です。
残暑厳しく毎日猛暑日。次の札所まで70㎞離れているときは、夜通し歩き続けました。トンネルを通ると鼻毛が伸びました。(いや、これホント!)途中、歩きすぎて足の裏の皮が半分めくれてしまい、泣きながら歩いていました。
それでも続けられたのは、人々の温かい言葉、湧き水の有難さ、屋根・布団がある寝床の安心感、水平線に沈む夕日の美しさ、苦しさに歯を喰いしばったこと…たくさん泣いて笑って感謝して考えたことが、『生』の実感だったからです。
あの時あのタイミングだからこそ感じた時間が、今の私の原点です。あ~あの頃私は若かったな~ -
No.172
相澤 宗利
子どもの頃デパートで迷子になり、私が泣いていると、優しいお姉さんが「ぼく、お母さんの名前わかる?」と声をかけてくれました。そこで私は「ウルトラの母」と答えました。どうやら光の国からはるばる地球に買い物に来ていたようです。今思うと若かった、というより幼かったと感じます。
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No.171
N.U
大学生の時、毎年サマーソニックに行っていました。撮影禁止のライブ会場にこっそりカメラを持ち込んで、セキュリティーにつまみ出されたこともありました。
今となってはあんな汗臭い人混みに行く気になれませんが…若かったんですね笑 -
No.170
鈴木 文菜
中学・高校時代、一日中動いていたこと。
朝練をして授業を受けて、午後練習をしていたことが若かったなーと思います。 -
No.169
M.S
10代後半~20代前半はオールでカラオケしてもへっちゃらでしたが、20代後半になった今ではもう眠くなってしまってできません…。若さはもうありませんが、これからも色々な経験を積んで渋メンになっていきたいと思います。
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No.168
秋山 修次
20代中頃、高校時代の仲間と高崎駅周辺で12時過ぎまで飲んで、当時住んでいた八幡町まで歩いて帰ったことがある。今では飲んだら寝てしまいます。
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No.167
K.T
1960年後半、私は17、18歳
みゆき族…わかりますかね~
当時、VAN・JUNのメーカーの服が大流行、雑誌平凡パンチを小脇に抱え銀座の街を歩いていました。不良を気取って。
その団塊の世代の人達も、もうすぐ後期高齢者の仲間入りとなります。 -
No.166
根岸
学生時代はサッカーに夢中でした。プロ選手でも果敢に勝負した記憶があります。
また、就職してからは、波乗りにはまり、休みの日は週一で海に通っていました。
現在は全くその元気はありません。 -
No.165
R.O
専門学生の時に、焼き肉屋、居酒屋、スイミングインストラクター、ラーメン屋などアルバイトをいくつか掛け持ちしたり、お酒を飲みに行き次の日そのまま学校へ行くということをほぼ毎日繰り返していました。
若いと無理をしても少し寝れば体は回復していたのでできていました。 -
No.164
S.A
高校卒業後、M電気に入社。
あの頃は若い社員が多く、冬はクリスマスパーティーでダンスを一緒に踊ったり、バス4~5台貸し切っての社員旅行。友人と会社の山岳部に入り、山を登りながら山の歌を歌った。
たのしかったな~♪ -
No.163
塚田 美智子
中学生の3年間、部活でのバスケ練習を毎日々友達と楽しく走り回ったコート、今は孫とバスケの練習で、すぐ転倒しては笑いを誘っています。
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No.162
R.S
学生時代は日焼けサロンに通い、海ではサンオイルを使い日焼けをして肌を黒くしていました。その頃のせいで、今ではシミ・ソバカスに悩まされています。
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No.161
小椋
私はカラオケが大好きで、大学生の頃は友達とよく徹夜でカラオケに行きました。
料金が安いジャンボカラオケ広場江坂店で、夜から朝日が昇るまで90年代後半~2000年代前半の流行の歌を歌いまくっていました。あれからもう20年近く経ちますが、もう徹夜カラオケする体力はありません…。 -
No.160
辻田 良子
30代後半、週5回のジム通いとジャズダンスに通う毎日でした。あれから30年、今は変形性膝関節症で整形外科に通い、家でリハビリ運動を行う毎日です。
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No.159
伊与久 裕之
大学時代は、思いつきで出かけることが多かったです。国内外問わず、行きたいと思ったらとりあえず行っていました。でもさすがに宿すら取らずの海外は危険だったと思います。今は子どもがいるので、ホテルの設備から宿周辺の施設まで、下調べは完璧にこなしています。
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No.158
安斎 雄馬
学生時代、アパートの前に某ファストフード店が出来ました。毎朝そこで高カロリーの物を食べていました…。今だったら胃を壊してしまうかもしれません…。
若い人には今しか食べられないものを食べてほしいですね。