理事長就任にあたり、一言ご挨拶申し上げます
このたび理事会の決定を受け、社会福祉法人希望館 理事長を拝命することとなりました。社会的責任の重さに身の引き締まる思いでございます。
さて、社会福祉法人希望館は大正12年9月1日の関東大震災で被災した方々を、祖父 松沢隼人が自宅に引き取ってお世話をさせていただいたことでスタートし、むしろそうした活動が公に認められる形で法律の整備を促して参りました。
第二次大戦後に児童福祉法、生活保護法が整備され、希望館の仕事も公的な社会福祉事業と位置づけられ、社会福祉法人格も認証を受けるに至りました。もっとも祖父は法人格などあろうがなかろうが、法律が整備されていようがいまいが、そこに困っている人がいたら、きっと何とかして力になろうとしたこととは思いますが。
祖父が亡くなり父 睦が法人理事長として采配をふるい始めた頃は、老人福祉法が成立し、「養老院」という言葉が「老人ホーム」に置き換えられた時期でもありました。父が理事長職を担った前半である昭和の後半は、社会福祉の歴史から見れば「福祉切り捨て」「福祉低迷」と言われた時期でもありましたが、法人を支えてくださった当時の役員や地域の方々の協力を頂きながら、希望館は独自の発展を続けてくることができました。
平成に時代が移り、まずはゴールドプランという政策により、老人福祉サービスの受け皿が飛躍的に増えました。希望館の老人福祉部門も養護老人ホーム単独施設だったものが、特別養護老人ホーム・デイサービス・在宅介護支援センター・ホームヘルパーを併せ持つようになり、その後、新ゴールドプランによってケアハウスを、介護保険法によって居宅介護支援事業所を、また児童福祉部門ではエンジェルプランによって児童家庭支援センターを、最近では次世代育成支援政策によって、希望館八幡の家を併せ持つに至りました。時代の要請に合わせて発展を遂げた希望館を率いて、陣頭指揮を執り続けた父の息子であることは、誇りであることと同時に強烈なプレッシャーでもありました。
その父 睦が天に召されてもう4年が経とうとしています。この4年の間、父の後を受け理事長職をお引き受けくださった山田富二理事長には、言葉では表現し得ないほどに感謝いたしております。また、私のような若輩者を温かく見守ってくださった役員・職員・ご利用者やご家族の方々にも、心から感謝を致しております。本当にありがとうございました。
これより理事長を務めさせていただきますが、私自身以前と比べて崇高な人格を身に付けたわけでもありませんし、父や山田理事長のような社会的信用を得ているわけでもありません。世間的に見れば「ボンボン育ちの青二才」「頼りない若輩者」であることには変わりがありません。しかし、私も希望館の職員になった25年前に比べれば、社会福祉法人としての社会的責任の重さも理解できるようになったと思いますし、それを背負うべきは自分であるという自覚は持てるようになりました。希望館に勤務する260名の職員とその家族の生活に対して責任を負う覚悟も持てるようになったつもりです。「自覚と責任」、掛け声倒れにならぬよう精進して参りますが、恥ずかしながら「希望館の隣人」である皆様方のご支援を頂かなければとても一人歩きはできません。どうか引き続き、この若輩者をお見守りいただければ幸いです。
希望館は社会福祉の法律などなかった時代に、祖父が困ってる人を救いたいという一心で立ち上げました。その思いを引き継いだ先人たちから今私にタスキがリレーされました。「愛と奉仕」という基本理念を実現し、「隣人愛」にこだわりながら本来の社会福祉法人であり続けることを私の生涯の使命として、命懸けで希望館の仕事に取り組んで参りますことをお誓い申し上げ、理事長就任のご挨拶とさせていただきます。
平成25年7月7日
社会福祉法人 希望館
理事長 松沢 斉